2019年6月6日のカンブリア宮殿に竹内太一(土佐料理 司社長)が
出演しました。
土佐料理 司は、土佐料理の代表格である鰹のタタキや
ウツボの唐揚げ、青のりの天ぷらが人気で、リピーターが
後を絶たない人気店です。
そんな竹内太一氏の経歴や年収、お取り寄せや都内店
『祢保希(ねぼけ)』の場所を紹介します。
竹内太一の経歴
【プロフィール】
名前:竹内 太一(たけうち たいち)
生年月日:1953年8月18日
出身地:高知県
最終学歴:明治大学商学部
職業:株式会社加寿翁コーポレーション社長
竹内太一氏は、姉と妹の3人姉弟で、高知県で生まれ育ち
ました。
竹内氏の祖父は、大正6年から割烹を経営していたんですが、
お父様は最初、祖父の店を継がずに独立して中華料理店を
やっていました。
でもその後、土佐の食材や料理に着目し、それまで高知には
なかった土佐料理というカテゴリーを開拓したんです。
土佐料理という言葉は、竹内氏のお父様がつけたものなんです。
竹内氏は、飲食店が身近な存在だったんですね。
高知では父親が経営する中華料理屋のビルの上に住み学校に
通っていました。
大学入学と同時に大きな変化が
竹内太一氏が明治大学商学部に丹生gくすると同時に家族で上京して、
赤坂に『祢保希』の東京第一号店として、自社ビルの土佐料理店を
開店しました。
そのころ住んでいたのも、この赤坂のビルの四階でした。
銀座にも自社ビル店舗がありますが、銀座店も一番上の階を
住居にしていました。
竹内氏は、店のあるビルの上に住む宿命にあったようです、と
笑っていました。
竹内氏は、祖父から父へとお店が継がれていく流れを目の当たりにして
いました、が3代目になるとは、当時は全く考えていなかったんですよ。
「小中学生のときになりたかったのは新聞記者だし、高校に入ってからは
商社マンになりたかった。
大学も体育会系でヨット部でヨットばかりしていましたし、
卒業するまでは外資系の会社に就職するつもりだったんです」と話します。
ところが、大学卒業を前にして、店舗の人手不足に悩んだ母親から、
家業を継いで欲しいと強く頼まれました。
そこで、もともと強い志をもって、外資系の会社に入りたかった
わけではなかったし、親の商売をそばで見ていて外食には興味もあった
ことから、内定した企業をあっさり断り、現在の会社に入社したんですよ。
会社に入ってぶつかった壁と乗り越え方
入社後すぐにはじめたのは調理見習でした。
そして1年半後、人手不足もあって竹内氏は新宿に開店した2店舗目の
お店の店長をまかされました。
「何も分からない若造だったけど、ベテランの番頭さんを補佐につけて
くれたのでなんとか乗り切れました。
ただ、店長になって分かったことは、なかなか人が定着しないという問題。
高度成長期で当時はどこのお店もそうだったけど、とにかく忙しくて。
それでも不思議とこの仕事が楽しくて、毎日休まずに働いていました」
と語っています。
竹内氏は、その後、いろいろなお店を担当し、採用の仕事も
まかされるようになって新しい試みをはじめました。
今までにはなかった東京での現地採用をはじめたのです。
それまでは高知から人を呼んでいたのですが、それでは
いつまでたっても多店舗展開が出来ないと考えたからです。
ちなみに、今の赤坂店にいる総調理長はそのとき採用した人です。
さらに竹内氏が変化をもたらせたのは、仕入れの改革でした。
それまでは、魚の仕入れ先はすべて高知で、東京に運ぶルートも
ひとつだけでした。
でもそうなると、台風などがきたときに魚が届かなくなり、急いで
近くの市場で手配することになるので、魚の品質が安定しなかったんです。
お店にくるお客様は魚の味を目当てでいらっしゃるのに、品質が
安定していないのでは申し訳ないと考えました。
それを克服させる為には、ひとつの食材(鮮魚)に対して、高知だけ
ではなく複数の産地を持っていた方が安定供給が出来ると考え、
全国各地に出向き産地開拓をするようになりました。
今では魚の種類ごとに産地を変えて、その時季でいちばんいいものを
産直で仕入れているんですよ。
10年ほど前からは、朝獲れの天然魚を夜に店舗で毎日提供できる
体制が整いました。
そして、竹内氏が3代目経営者となる日が訪れました。
それは彼が46才のときでした。
当時はバブル崩壊で会社には多額の借金がありました。
そこでまず竹内氏が行ったことは、赤字のお店を撤退させること
でした。
20店舗あったお店を12店舗にしたんです。
主力業態以外のお店と出店地域に1店舗しかないお店(京都・名古屋・松山)
を順番に撤退させていったんですよ。
こうして既存店の売上は徐々に回復したんですね。
このとき痛感したのは、お店をたくさん出店することよりも、店舗数が
少なくても美味しい料理を提供して、お客様に喜んでいただける店づくり
をしなくてはいけないということだったんですね。
竹内太一氏の年収は?
竹内太一氏の年収は未公開なので、会社の情報から推測ていきたいと思います。
【会社情報】
資本金:3,000万円
従業員:330名(内正社員110名・パートアルバイト220名)
売上高:26億円(2018年8月)
事務所:店舗12店(高知・大阪・東京)・工場1カ所
参照:マイナビ
015年時点では売上高23億という記述もあったので、年1億円ほどの
売り上げがあるようです。
食品事業には海外進出も考えてるそうなので、年収1000万円以上は
あるのではないかと予想します。
土佐料理 司のお取り寄せ
土佐料理 司のかつおのたたきは、楽天市場でお取り寄せができます。
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うなぎかば焼きセットも楽天市場でお取り寄せができます。
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また、その他の商品は、以下からお取り寄せができます。
https://www.tosakatsuo.com/fs/tsukasa/c/all
東京都内店『祢保希(ねぼけ)』の場所は
東京都内には以下の5店舗があります。
土佐料理 祢保希 赤坂店
東京都港区赤坂3-11-17
電話:03-3585-9640
土佐料理 祢保希 銀座店
東京都中央区銀座7-6-8
電話:03-3572-9640
土佐料理 祢保希 新宿店
東京都新宿区西新宿1-26- 新宿野村ビル49F・50F
電話:03-3343-9640
土佐料理 祢保希 日本橋店
東京都中央区日本橋室町2-4-3 日本橋室町野村ビルYUITO3F
電話:03-3275-9640
土佐料理 祢保希 丸の内店
東京都千代田区丸の内2-1-1 明治安田生命ビルB1F
電話:03-3212-9640
まとめ
竹内太一氏は、発展するかつぶれるかは3代目にかかる、
と聞いたことがあります。
竹内太一氏の大学進学とともに、一家が東京に引っ越してくる
という行動力はすごいですね。
その上に、守るべきものと、変えるべきものを、ご本人の努力で
切り開かれてきたからこそ、今があるんですね。