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相良直美の今は?実家や年齢やプロフィール消えた理由とされる女性は?

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人物

伝説の大スター、相良直美さんを時々テレビで見かけるように
なりました。
爆報!THEフライデーや徹子の部屋で、過去のことや現在のこと
など、色々と調べました。

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相良直美さんのプロフィール

相良直美さんのプロフィールは以下になります。

芸名 佐良 直美(さがらなおみ)

出生名 山口 納堡子 (1979年に佐良直美に改名)

生年月日 1945年(昭和20年)1月10日

学歴 日本大学藝術学部卒業

出身地 東京都

職業:歌手、女優、タレント、実業家

活動期間:1967年 ? 1987年、2010年 ?

レーベル:ビクター音楽産業

佐良直美さんは、明治時代の漢学者川田甕江の玄孫で
住友財閥の常務理事の川田順(甕江の三男)の従曾孫
という家系に生まれました。

テレビで活躍している時に、名家のお嬢様だと言われていました。

遠縁には、女優の吉永小百合もいるそうです。
(佐良直美の母方の大伯父である山口彰夫の妻と、吉永小百合の母が姉妹同士)

芸能界デビューは日本大学藝術学部卒業後の22歳でした。

佐良直美さん「世界は二人のために」誕生秘話

佐良直美さんは、幼い時から一流のクラッシック演奏家に師事し
音楽の素養を深めました。

田園調布雙葉学園在学中より日本ジャズ界の草分け、
水島早苗先生に師事しました。

姓の佐良は水島(トニー・相良)先生の旧姓相良に姓名判断で
佐良の字をあてたんですよ。

フジテレビの音楽番組のディレクターを目指し、日本大学芸術学部に
進学したんですね。

大学在学中には、番組で使われる身を経験しようと、
ホテル「日航ミュージックサロン」などで歌を歌っていました。

作曲家のいずみたくさんと「ビクター」の小沢ディレクターに
スカウトされ、大学卒業後の1967年5月、「世界は二人のために」
でレコードデビューしました。

すると、たちまち120万枚のレコードを売り上げる大ヒットを記録
したんですよ。

佐良直美さんの歌手としての活躍

「世界は二人のために」の大ヒットで1967年の
「第9回日本レコード大賞新人賞」を受賞して、「第18回NHK紅白歌合戦」
にも出場し、一躍人気歌手となりました。

その後

1967年12月「私の好きなもの」
1968年2月「星になりたい」
     5月「恋はオールデー・オールナイト」
     7月「すてきなファーニー」
     12月「愛の結晶」
1969年3月「ギターのような女の子」

立て続けにシングルをリリースしました。

1969年7月にリリースした8枚目のシングル「いいじゃないの幸せならば」
では、「第11回日本レコード大賞」を受賞しました。

これは、橋幸夫さんに続き、史上二人目の2冠(新人賞・大賞)
で、女性歌手としては、史上初という快挙を成し遂げています。

佐良直美さんの女優・司会者などの活躍

このような活躍があり、26歳だった1971年、所属事務所である
オールスタッフプロから独立し(株)佐良直美音楽事務所を設立しました。

この頃から、歌手としてだけでなく、作曲(テレビドラマの音楽も担当)、
タレントとしてのバラエティー番組への出演、テレビ番組の司会、
女優としても『ありがとう』に出演するなど、マルチに活躍しています。

以降、

1968~1972年「肝っ玉かあさん」(テーマ曲も担当)
1970~1975年「ありがとう」(テーマ曲も担当)
1971年「女と味噌汁」
1975年「明日がござる」
1977年「家族」
1981年「出逢い」
1982年「おはよう24時間」

など、話題のテレビドラマにも次々と出演されるほか、タレントとして
バラエティ番組に出演したり、テレビ番組の司会を担当したりと、
多方面で活躍しました。

佐良直美とキャシー中島とのレズ疑惑勃発

人気絶頂だった1980年5月19日、突如、タレントのキャシー中島
さんが、ワイドショー「アフタヌーンショー」で、佐良直美との愛の破局
と、レズ生活を赤裸々に告白したんです。

キャシー中島さんが、相良さんの親族から別れさせられたと涙ながらに
訴える姿が映し出されたのでした。

テレビ番組や週刊誌などで、相良さんとキャシーさんは、「ナオ」
「おまえ」と呼び合う「夫と妻の関係」であり、1979年9月頃から
佐良さんの家で同居を始めたのですが、相良さんの親戚から
嫌がらせを受け仲を引き裂かれたと主張したんです。

キャシーさんは、相良さんからもらったというラブレターまで
公開したんです。

佐良さんは、事実関係をすべて否定しましたし、ラブレターも
偽物だと反論しました。

ただ、この時の騒動で、佐良さんが、同性愛に対して「気持ち悪い」
とコメントしたことが非難されてしまいました。

最終的には、佐良さんが訴訟を起こして、
同年5月末キャッシーさんが謝罪、と騒動は収まりました。

この騒動で、その年の紅白歌合戦には落選。
その後もテレビ出演が激減してしまいました。

佐良直美さんの芸能界引退の真実

佐良直美さんは、同性愛騒動のあと1987年、芸能界から
引退しました。

キャシーさんとの騒動で仕事が激減しましたが、引退の本当の
原因ではなかったんです。

ジャズの師と仰いだ水島早苗さんが亡くなり、自分の歌い方が
分からなくなってしまったことが、引退の本当の理由だったんですね。

佐良さんにとって、水島さんは、ジャズを歌う時の羅針盤のような存在で、
全員が「だめ」と言っても、水島さんが「OK」を出してくれれば
歌えたんですね。

1986年には、そんな水島さんに捧げたジャズアルバム
(カセットテープのみで発売)をリリースしたことで燃え尽きてしまい、
歌への情熱が失われてしまったんですね。

そして、1987年には「声帯ポリープ」の手術をしたため、
1年間歌えなくなってしまったのを機会に、実家の会社「巴工業」
(中堅化学機械メーカー)で午前9時~夕方5時で働くようになり、
そのまま、芸能界を引退下というのが真実なんですね。

相良直美さんは結婚してる?

芸能界で活躍していた頃の佐良直美さんは、多忙を極めていました。
キャシー騒動、ポリープ手術の痕、実家の巴工業に勤務していた
のですが、結婚はしなかったようです。

現在も独身なんですよ。

佐良直美の今

佐良さんは、18年間にわたって、「巴工業」に勤務したんですが、
1993年に、栃木県那須塩原市で家庭犬のしつけ教室
「アニマルファンスィアーズクラブ(AFC)」を設立しました。

その仕事のため、「巴工業」には毎日行けなくなり、
「アニマルファンスィアーズクラブ(AFC)」の経営に専念
するようになりましt。

また、2011年の「東日本大震災」後は、被災犬・猫を
受け入れるようになりました。

現在は、約150匹の犬猫や動物たちの世話をして暮らして
います。


佐良直美が教える犬との暮らし方―中高年が愛犬と楽しく暮らすための上手なしつけと飼い方