本ページはプロモーションが含まれています

松坂慶子の年齢や体重は?若い頃の写真や夫とのなれそめや娘は?

スポンサーリンク
人物

松坂慶子さんがドクターXに、下町のおばちゃんとして
出演します。

第1話のゲストとして手術台に上ります。
松坂慶子さんは、ドクターXの大ファンで、出演するのが夢だった
と、緊張しながら役を演じたそうです。

かつての松坂慶子さんは、「愛の水中花」という歌を網タイツと
黒いバニーガールのような衣装で歌い、見事なプロポーションと
美貌が、とても魅力的、でした。

その後結婚、出産を経て、年を重ね、随分とふくよかに
なりました。

最近では、少しふくよかになった体系で、気のいい奥様の役が、
とても素敵ですね。

そんな松坂慶子さんの年齢や体重、夫や娘など、気になることを
調べました。

スポンサーリンク

松坂慶子さんの年齢と体重は

松坂慶子さんのプロフィールはウィキペディアによると
以下になります。

本名  高内慶子(たかうちけいこ)

生年月日  1952年7月20日 (67歳)

出身地  東京都

身長  162cm

血液型  A型

活動期間 1967年

公表されているプロフィールから2019年10月17日現在の
年齢は、67歳です。

若い頃から人気のある女優さんだけあって、67歳にしては
とてもきれいですね。

体重は、残念ながら公表されておりません。
身長が162cmということとBMI(肥満指数)から、63.5kg
が考えられます。

松坂慶子さんの出演作品

松坂慶子さんは、これまで、たくさんの作品に出演してきました。

1967年、中学3年生の時に「劇団ひまわり」に入団「忍者ハットリくん
+忍者ジッポウ」でテレビ初出演、翌年のウルトラセブンにも
少女役で、出演しています。

1969年(昭和44年)高校2年生の時にに大映からスカウトされ
「ある女子高医の記録 続・妊娠」で女子高生の一人として
スクリーンデビューをしました。

1971年(昭和46年)、映画「夜の診察室」で初主演をしました。

その後も、数々の作品に出演しました。

1979年に出演したドラマ「水中花」は、覚えている方が多い
事と思います。

バニーガールの衣装を着て「愛の水中花」を歌う姿は、とても
魅力的でしたね。

1980年代には、「鎌田行進曲」「道頓堀川」「男はつらいよ」
「青春の門」「火宅の人」など、深作欣二監督の作品に出演
しています。

また、NKHの大河ドラマにも数多く出演しています。

松坂慶子の若い頃の写真

松坂慶子さんの若い頃の画像が素敵です。

こちらは、「愛の水中花」の時の画像です。

芸能 女優の松坂慶子

こちらはお姫様厄をしていた頃の画像です

このように、松坂慶子さんは、若い頃は、美人でスタイルも
抜群でした。

このように活躍していた時も魅力的でしたが、年を重ね
ふくよかになった松坂慶子さんも、とても魅力的ですね。

ふくよかになってからの松坂慶子さんの出演ドラマ

ふくよかになってからの松坂慶子さんは、印象に残る作品に
出演しています。

2019年4月26日 – 18年10月より今年3月末まで放送されたNHK
連続テレビ小説『まんぷく』で、ヒロイン・ 立花福子(安藤サクラ)
の母親である今井鈴役を好演しましたね。

この作品で、『第15回コンフィデスアワード・ドラマ賞』で
助演女優賞を受賞しました。

「私は武士の娘です」が口癖の口うるさいけれど、娘思いの
母親の姿が、かわいいと話題になりました。

松坂慶子さんの夫となれそめなど

松坂慶子さんの夫(旦那)は高内春彦さんという
ジャズギタリストで、1954年生れなの松坂慶子さん
より2歳年下になります。

60歳を過ぎた現在も全国でライブ活動をされている現役の
ミュージシャンです。

松坂慶子さんと高内春彦さんのお二人が結婚したのは
1991年です。

松坂さんがカンヌ映画祭の帰りに立ち寄ったニューヨークで
知人の紹介で知り合いました。

知り合った当時は松坂慶子さんが、大女優、高内春彦さんは
無名のギタリストでジャズミュージシャンでした。

結婚当時、松坂慶子さんのお父様が、大反対で、結婚を
認めなかった、と報道されていました。

【高内春彦さんの経歴】

高内春彦さんの生年月日は、1954年8月5日です。

20代の時に渡米、ニューヨークを拠点として、
ジャズミュージシャンとして活躍していました。

1984年には、マイク・スターン、ジェフ・アンドリュース、
ジャコ・パストリアス、ボビー・ブルーム、イクター・
ベイリー、レニ・スターンなどと共にセッションワーク
ショップをニューヨークの55barで開始しました。

以後、「ブルーノート」や「アポロンシアター」などの
超有名なステージに立ってきました。

日本で言えば、武道館や東京ドームのような所で演奏
してきたんですね。

また、演奏者としてだけではなく、作曲家、プロデューサー
としても活躍しています。

日本での代表作としては、NHK「銀河宇宙オデッセイ」「黒い太陽」
(カンヌ映画祭受賞作)「山河憧憬」スティーブン・ホーキング
(BBC)等多数、ブリティッシュミュージアム、お台場アクアシティ
などの環境音楽の製作も行う。

このように、たくさんの音楽制作に携わっています。

結婚でおきた親との確執

高内さんの経歴を見る限り、「格差婚」とは言えないですね。

出会ってから順調に交際を続けた松坂さんと高内さんは、
1990年に結婚しました。

その時に、松坂さんんのご両親には黙って結婚したため、
ご両親は大激怒したんです。

特に、松坂さんのお父様が、自分が知らないミュージジャン
であることから「娘に寄生するひも男」と批判していました。

格子て松坂さんはご両親と疎遠になっていったようです。
お父様は、高内さんとの結婚を認めることなく亡くなられた
そうです。

50歳でヌード写真集を出した時の松坂さん

松坂さんは、若い頃に、一度もヌード写真を出したことが
ありませんでした。

ところが、2002年、50椎の時に、ヌード写真集「さくら伝説」を
出版しました。

当時、出産後の激太りや東京電話のCMで大根片手のおばさん主婦
の演技が話題となっていました。

「さくら伝説」は、作詞家・なかにし礼さんの小説です。

夫の浮気を知ったヒロインが耽美な妄想の世界に入り込み、内なる
鬼に突き動突かされるように背中に入れ墨を彫って、さらには官能の
女に変身していく物語です。

松坂さんは「主人公を演じてみたい」と、小説をモチーフとする企画
がスタートしました。

撮影にあたり、なかにしさんからシェイプアップするよう指示を受け、
3ヵ月で7キロのダイエットを敢行して、現場に臨みました。

当時、旦那さんに収入がないため、生活費を捻出するため、とも
報道されました。

松坂さんは、トーク番組で「ヌード写真集をdすに当たって、
二人の娘とよく話し合いを重ねて、母親がヌードになることを
理解してもらいました」と語っていました。

確かに、50歳になった母親が、芸術性が高い作品とはいえ、
ヌード写真がたくさんの人の目にさらされるのは、嫌ですよね。

7キロのダイエットと娘さんたちの説得をして臨んだ撮影は、
目隠し緊縛ヌード、金粉や刺青ヌードなど松坂さん自身から過激な
カットのアイデアも出されるようになっていったほど、熱が入りました。

当初、7月20日の50歳の誕生日を目標に制作された写真集は
多少進行が遅れて、8月9日に発売されました。

1冊4700円という高価な写真集にも関わらず、1ヵ月あまりで
約10万部を売り上げたといいます。

購入者の4割が松坂さんと同世代の40~50代女性という報道も
流れました。

松坂さんは、「体に自信がなかったけど、撮影が進むにつれて
決心がつきました」と記者会見で話したんですよ。

松坂さんの芸術性の追求が形になったんですね。


さくら伝説―松坂慶子写真集


さくら伝説〈下〉 (新潮文庫)


さくら伝説〈上〉 (新潮文庫)