吉藤健太朗(吉藤オリィ)は結婚してる?高校やwikiを調査

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人物

2020年2月10日(月) 22時00分~22時50分のNHK
「逆転人生」で新進気鋭のロボット開発者吉藤健太朗さん
(32歳)が登場します。

吉藤健太朗さんは、アメリカ経済誌で田中将大さん、錦織圭さん
と並び、“アジアを代表する30歳以上の若きリーダー”に
選ばれています。

吉藤健太朗さんは、分身ロボットOriHimeをもっと世間に
知って欲しいということで「吉藤オリィ」という名前で
活動されています。

イケメンの吉藤健太朗は結婚しているのか、高校やwiki
など気になることを紹介します。

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吉藤健太朗さんwiki風プロフィール

名前 吉藤健太朗(よしふじけんたろう)

誕生日 1987年11月13日(32歳)

出身 奈良県葛城市

高校:奈良県立王寺工業高等学校

大学 早稲田大学創造理工学部

職業 ロボットコミュニケーター
   デジタルハリウッド大学大学院特任教授
   株式会社オリィ研究所代表取締役社長

吉藤健太朗(吉藤オリィ)は結婚している?

吉藤健太朗(吉藤オリィ)酸は、現在32歳で、イケメン
ですね。

もうすでに結婚されていて、子供さんもいるのかと
調べてみましたが、どうやら独身のようです。

ご自身の活動に力を注がれているんですね。

吉藤健太朗(吉藤オリィ)さんの高校までの道のり

小学校5年生から3年半の不登校

吉藤健太朗(吉藤オリィ)さんは、小学校5年生から
中学校2年生までの3年半、不登校の時期がありました。

最初は自身の入院と自宅療養で学校を休無ことになったんです。
その間に学校に自分の居場所がなくなってしまったかのように
感じてしまいました。

それで、ストレスでほとんど学校に行けなくなって
しまいました。

学校に行けない日々は3歳の頃から始めていた得意の
折り紙を折ったり、漫画家を夢見て漫画を書いていた
時期がありました。

この時のずっと折っていた折り紙は、吉吉藤健太朗(吉藤オリィ)
さんの創作の原点になりました。
そして、19歳のときに奈良文化折紙会を設立しました。

吉藤健太朗(吉藤オリィ)さんの折り紙は、机の上で
折るのではなく空中で形を折っていく“創作折り紙”です。

こちらが、有名な空中で作れる「吉藤ローズ」です。

吉藤健太朗(吉藤オリィ)さんの中学時代

折り紙を折っている吉藤健太朗(吉藤オリィ)さんの様子を
見たお母様が、折り紙が折れるならロボットも作れるだろう
と虫型ロボット競技大会に出場するように誘ってくれたんです。

吉藤健太朗(吉藤オリィ)さんも、NHKで放映されている
「高専ロボコン」は好きで見ていたので、面白そうだと思い
挑戦したら、なんと、その大会で優勝したんですよ。

すごいですね。

そして次の年の中学2年生の時に全国大会に出場し「虫型ロボット
競技大会チャンピオンフェスタ」全国大会で準優勝しました。

この時に出会ったのが、奈良県立王寺工業高等学校の
物づくりの巨匠「久保田憲司先生」でした。

吉藤健太朗(吉藤オリィ)さんは、この先生に弟子入りしたい
と強く思い、高校に入るために猛勉強を始めました。

ご両親や親友、先生たちの懸命なサポートがあって、
中学2年生の時には学校に復帰することもできました。

展示会場内に一輪車で走り回るロボットが出展されて
いたのですが、個人がつくったものだということに驚きました。

このロボットの開発者が、地元の奈良県立王寺工業高校の
先生であることを知り、弟子入りしたいと思いました。

吉藤健太朗(吉藤オリィ)さんの高校

奈良県立王寺工業高校に入学すると、久保田先生の教えのもと
福祉機器に興味があったことから、新しい電動車椅子の研究
プロジェクトに入れてもらいました。

この時期は朝6時から遅いときは帰ると23時になっていた
こともあったくらい研究開発に没頭しました。

先生も朝から夜遅くまで付き合ってくださり、そんな日々が
本当に楽しかったと語っています。

高校2年生のとき、吉藤健太朗(吉藤オリィ)さんたちが
開発した電動車いすを高校生科学技術チャレンジ(JSEC)
という高校生による自由研究コンテストに応募することに
なりました。

JSECの審査方法が10分のプレゼンと5分の質疑応答である
ため、先生と猛特訓しました。

その結果優勝し、ISEFの日本代表の切符を手にすることが
できました。

ISEFではGrand Awardの3位を受賞することができ、帰国後
「スーパー高校生」としてメディアに紹介されるように
なりました。

するとそれを見た人たちから「こんなものをつくってほしい」
などと、さまざまな相談が寄せられるようになったんです。

そこで、吉藤健太朗(吉藤オリィ)さんは、残りの人生を
「孤独を解消するために使おう」と17歳で決心しました。

「孤独の解消」が人生のテーマだと決死しました。

高校卒業後国立詫間電波工業高等専門学校に編入

吉藤健太朗(吉藤オリィ)さんは、高校卒業後は、孤独の解消
という研究をするために、香川県にある国立詫間電波工業高等
専門学校(現在の香川高専)に編入して、人工知能の研究を始めました。

人とのコミュニケーションによって社会とのつながりができ、
孤独が解消され、癒やされていたという思いが現在の
「分身ロボット=OriHime」の開発につながっています。

大学時代に分身ロボットを開発

吉藤健太朗(吉藤オリィ)さんは、高校卒業後は高等専門学校
に編入し人工知能を学び、人とロボットではなく人と人をつなぐ
ロボット作りを目指すようになり、途中から早稲田大学
創造理工学部へ進学しました。

大学では、ロボットの動作を学ぶためにパントマイムサークル
に入っただけでなく、コミュニケーションを克服するために、
様々なサークルに入り、人と関わるように努力しました。

一方、大学では自分のやりたい研究所がなかったので、2009年に
「オリィ研究所」を自ら作り、”分身ロボット”の研究を始めました。

オリィ研究所の“オリィ”とは、得意の折り紙から付けられた
あだ名なんです。

だれにも言わずに2年のも間ロボットの開発を続け、2011年に
OriHimeを発表しました。

発表後は、大学にも認められ2011年の国際ロボット展に
早稲田発のロボットとして出品しました。

これをきっかけに、一緒に研究をする仲間や大学との連携により
実際に病院などで試験利用をしてもらえるようになりました。

吉藤健太朗(吉藤オリィ)と番田雄太さんの出会いと別れ

番田雄太さんは4歳の時に交通事故にあい、脊髄を損傷して
寝たきりの生活を余儀なくされました。
なにもできないじぶんに嫌気が差していました。

そんな時、2013年にネットで吉藤健太郎さんのことを知りました。
そして、メッセージを送り交流が始まりました。

やがて、吉藤健太朗(吉藤オリィ)さんは、番田雄太さんを
秘書として雇いました。

そして、分身ロボット{Orihime(オリヒメ)」のさらなる
改良に着手しました。

ところが、出会いから4年後(2017年)に番田雄太さんは
亡くなりました。

まとめ

吉藤健太朗(吉藤オリィ)さんは、人とうまく
かかわれなくなり孤独だった日々から、人とうまく
関われなくなった経験から、OriHimeの開発と
改良を続けています。

大変な才能の持ち主であると共に、人の気持ちを
理解しようとする心の持ち主でもあるんですね。

これからがとても楽しみな人ですね。