かつて、吉本新喜劇で間寛平さんとの名コンビで人気だった
お笑い芸人の木村進さん(68)が19日にお亡くなりになりました。
近年は体調も良くなかったそうで、表舞台から遠ざかっていたようです。
14日に体調が悪化して腎不全で19日に死去。
最近の画像やお元気だったころの画像や略歴を紹介します。
木村進 の現在の画像
通夜は21日午後7時、葬儀は22日午前11時30分から、大阪市都島区の
「コスモール都島」。
喪主は妹の木村龍子(きむら・たつこ)さん。
木村進の略歴
木村進(きむら すすむ、本名同じ、1950年7月29日 – )は、
日本のお笑い芸人、喜劇役者。かつて吉本興業に所属していたが
現在はフリー。
「木村進劇団」の代表。
多様なボケに、ツッコミも二枚目もできる稀有な芸達者ぶりを発揮し、
23歳の若さで吉本新喜劇の座長となった。
随一の人気を誇っていたが、38歳で病(脳内出血)に倒れ、
惜しまれつつ退団した。
現在でも親交のある間寛平とは、お互いにベストパートナーであり、
良きライバルでもあった。
同情するなら笑ろうてくれ―車椅子からもう一度舞台復帰を目指して (カッパ・ブックス)
骨折や脳内出血におかされても笑いの道を貫く
二枚目の顔をゆがめて、にやけながら「イーッヒッヒッヒッヒッヒ…」。
父譲りのおばあちゃんネタを武器に、70~80年代の吉本新喜劇を
代表した座長「進ちゃん」だった。
木村さんは長年の大量の飲酒や、あぶら物好きなど不摂生から、
88年に脳内出血で倒れ、左半身が不自由になり、新喜劇を退団した。
車椅子生活だった。
後に「木村進劇団」を立ち上げていたが、10年ほど前に骨折して
以後は療養に努めていた。
親しい関係者は「骨折してからは、なかなか動けなくて、仕事を
完全に休業したと聞いた」と話しており、数年前には自宅を出て、
施設に入居していた。
今月14日に体調が悪化し、病院へ運ばれていました。
木村さんの父、2代目淡海は、松竹新喜劇で故藤山寛美さんの名相棒でした。
木村さんは父に反発し、19歳のとき、ライバル社の吉本へ入りました。
持ち前の喜劇センスを発揮し、23歳の若さで、座長へと出世しました。
二枚目俳優だったが、芸風は典型的なボケでした。
1カ月で60本の番組をこなしたこともありました。
ありもしない水たまりをひょうきんなしぐさで飛び越えるギャグも
特長でした。
名コンビだった寛平の人柄、舞台度胸を気に入り、引きあげたのが
木村さんでした。