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ゴリラのココとの動画有フランシーヌ・パターソンの現在は?

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テレビ番組

レオナルド・ディカプリオなども夢中になった人間と
手話で会話する天才ゴリラ・ココと45年一緒に暮らした
女性フランシーヌ・ペニー・パターソンさんの現在が
「衝撃のアノ人に会ってみた」放送されます。

フランシーヌ・パターソン博士は、ゴリラのココと
どのようにかかわってきたのでしょうか。

また、ゴリラのココは、なぜ子猫をかわいがったのか、
どんな会話ができたのかなどをまとめました。

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フランシーヌ・パターソンさんの今現在は

フランシーヌ・ペニー・パターソン さんは
1947年シカゴ生まれ。

1970年イリノイ大学で行動の発生と認知能力開発
の研究で文学学士号を取得。

1979年ローランドゴリラの言語能力の発達心理学的研究
によって、スタンフォード大学で博士の学位を取得。

1976年より、みずから設立したゴリラ財団の会長。
ゴリラに初めて手話を教えたことで世界的に著名

2018年6月19日「ココ」が、46歳で亡くなりました。

ココが亡くなってから現在フランシーヌ・パターソン
さんは現在どうしているのでしょうか。

番組によると、ゴリラのココがなくなってから
2年がたちますが、やっと泣かなくなってきたといいます。

現在72歳になりますが、ゴリラのココと暮らした
家で一人暮らしをしています。

そして、ゴリラのココとのコミュニケーションから
得たことをまとめて執筆活動をしています。

フランシーヌ・パターソンとゴリラのココとの出会い

ゴリラのココは、生後3ヶ月で病気にかかっている時に、
発達心理学の研究者のフランシーヌ・パターソン博士と
出会いました。

ニシローランドゴリラのココは、1971年7月4日に生まれました。
本名はHanabi-koといいます。

本名のハナビコは「花火子」と書き、これはココの誕生日の
アメリカ独立記念日にあがる花火からついた名前です。

ここを担当していたのがフランシーヌ・パターソン博士で
当時、25歳でした。

スタンフォード大学の博士課程で心理学の研究をしていました。
類人猿には手話によるコミュニケーションを学習することが
できるのか、というのが研究のテーマでした。

ゴリラ財団設立

1974年、パターソン博士とロナルド・コーン博士はココと
プロジェクトをスタンフォード大学に移し、ココを
飼育するためのゴリラ財団を設立しました。

このゴリラ財団は、ココが手話を用いて、人と
コミュニケーションを図る様子を映像で記録しています。

パターソン博士ゴリラのココに手話を教える

パターソン博士の担当教授や周りの動物行動学者たちも
非科学的でナンセンスであると思われていました。

ところが、ココはわずか数週間のうちに「飲む」「食べる」
「もっと欲しい」といった具合にどんどん覚えていきました。

それは、ただ単にモノの名前を表現するのではなく、感情を
手話で表現することができるレベルなんです。

パターソン博士とココは、手話を通じて意思疎通ができたんですよ。

ゴリラのココが話した言葉(アメリカ手話)

手話のできるゴリラのココ、「あれ嘘では?」という反論が
ありました。

反論の主張は、「翻訳できるのが研究者だけ」「繋がらない会話
をしている時は、研究者が『これはジョークです』と強引に修正」
という意見もありました。

「誰とでも手話が通じる」のではなく、パターソン博士や限られた
人としか手話が通じなかったという意見もありました。

しかし、パターソン博士たちが発表した、ゴリラのココの
力士ていた言葉の一部が以下になります。

“やわらかい良い猫。”
飼っていた子猫を抱きながら行った手話。

“悪い…悲しい、悪い。”
飼っていた子猫が死んだと聞かされて。

“開いた不幸。訪れた哀れ。”
飼っていた子猫が死んだときにどう思ったか聞かれて。

“心地よい穴にさようなら。”
または「苦労のない穴にさようなら」ゴリラは死ぬとどこに行くか聞かれて。

“年とり 病気で。”
ゴリラはいつ死ぬのか聞かれて。

“穴を埋めること。”
何がココを不安にさせるのか聞かれて。

“ちくしょう!”
パターソン博士が死ぬと思うか聞かれて。

“ごまかすのは悪い。”
「あなたの言ってることが分からない」と言ったパターソン博士に対して。

“かわいそうだと思う、出して。”
マイケルが部屋に閉じ込められているのをどう思うか聞かれて。

“ココは良い鳥。”
ココのジョーク。

“食べる。飲む。もっと。”
ココが一番最初に覚えた手話。

“オレンジ、それがいいね。”
どの色が幸せな印象を持つか聞かれて。

“そこのケイトが悪い。”
台所の流しを壊したのは誰か問い詰められてついた嘘。

“悲しくて顔をしかめて泣く悪いワニ。”
嫌いなワニが悲しんでいる物語を喜んで。

“あかんべえ。”
ピーナッツの殻を頭に乗せておどけた女性に対して。

“知らない。”
ゴリラは人間の知らないことを知っているか聞かれて。

“お勉強。”
何があなたを怒らせるの?と聞かれて

“キャット・タイガー、猫は知ってる。”
猫のおもちゃの名前を聞かれて。

“ゴリラという者は、腹毛の動物である。”
鏡に映る自分の姿をのぞきこみながら語った言葉。

“ココは食べるのと…ちょっと飲むのが好き。”
いつか子供を産むのかと聞かれて。

“リンゴジュース。”
好きな飲み物は何か聞かれて。

“すばらしい乳首。”
人とおしゃべりするのは好きかと聞かれて。

フランシーヌ・パターソン博士がゴリラのココに子猫を与えた理由

パターソン博士達によるスタンフォード大学で進められた
ゴリラに手話を教えるプロジェクトは、マイケルという
ゴリラを加えて拡大しました。

それは、ゴリラのココに子供を産んでほしいという考えがあった
からでした。

ところが、この2党は、兄弟のような関係を築いてしまったため
子供を授かるには至りませんでした。

さらにその後、1979年にココとゴリラ財団は活動拠点をサンタクルス
山脈に移動し、新しい仲間にヌドゥムを加えましたが、やはり
子供が授かることはありませんでした。

パターソン博士は、ゴリラのココに母親願望があることを
知っていました。

そんな中、ゴリラのココは絵本の中に登場したネコに
興味を持ち、9歳の誕生日プレゼントとしてネコをおねだりしました。

子供を育てたいというココの願いを少しでもかなえるために、
1985年、パターソン博士は子猫を連れてきました。

「ボール」と名付けられたそのネコを、ゴリラのココはとても
気に入って可愛がりました。

ココがあまりにも近づきすぎるので、ボールのほうが嫌がって
ココを引っ掻いたり噛んだりすることもありましたが、
そうするとココは「悪い猫だ」と言って叱る仕草をしたそうです。

しかしこのボールは6歳の時に交通事故で死亡しました。
それを聞かされたゴリラのココが、ひどく嘆き悲しんだ
ということはよく知られています。

まとめ

結局ゴリラのコは、死ぬまで肉親を持つことはありませんでした。
群れで暮らす習性のあるゴリラとしては、きっと
さみしかっただろうと思います。

フランシーヌ・パターソン博士はゴリラのココにとって
唯一の肉親のような存在だったと思います。

共に信頼し合っていたんだと思います。
だからこそ、ゴリラのココと手話という方法で
コミュニケーションが取れたのではないかと思います。